神様、たまに器が狭いことを言う。親近感がわく。
日本でのキリスト教の宣教方法はなぜあんな形(街頭スピーカー、看板など)なんだろう?キリスト教の素晴らしさを広めようというのが目的であれば、効果的とは思えない。受け手の感覚や文化を理解しようとしていない⇒『自分たちの考え方が絶対』という風に見える。
いわゆる西洋の合理的な考え方というもの、個人的に取り入れたいと思うところがある。ただ、この本を読んだ限りは、物事の割り切り方が大雑把と感じた。日本人である自分の基準と大幅に違うところがあるようだ。それを知るのはおもしろいけれど。
西洋はボトムアップ、日本はトップダウン、というイメージが浮かんだ。この感覚を論理的に分析するような癖と出来るような能力を養う必要があるとモーレツに感じる。
↓の解釈の違いが興味深い。
【ユダヤ教】
律法が形式化すると、安息日に休まない者は律法違反者として断罪されてしまう。
【イエス】
安息日は人のために定められたのであって、人が安息日のためにあるのではない。
そのうち調べたいこと 十字架の起源、現在のキリスト教徒の分布や割合
ムニャムニャ・・・
